HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2004/06/29

まじ,多分今週がここ一年くらいで最も忙しい気がする.いや,気のせいかな.じゃあ何でこんなこと書いているのか,となる.うむ,おそらく,ルーチンワーク以外のことをこなす回数が非常に多い.visa の書類書きなどはてきめんそう.なんだよ将来の予定って,関東だとかかずでもいいらしいのに.

あとひと月で英語がどれだけ伸びるのか心配.いけそうな気もするんやが...甘いかな.

2004/06/26

下條信輔,『サブリミナル・マインド』1996年,中公新書1324.

津田雅美,『彼氏彼女の事情』 1-18, 花とゆめCOMICS.
昔面白くテレビで見ていたと思う.読んでるとやぱ面白い.恋愛がしたくなるほどですよ.作中バンドの歌詞とか劇とかになると,まあ致し方ないことだけど,センスの悪さが抜群に出て読むに耐えないから無視しながら読む.どうでもいいけど,キャラクターの精神状態に対する饒舌な理由づけは,顕在的な意識処理過程における自分や相手に対する志向性の帰属がやぱ自我の本質なのかなあ,と思ったりする.

ちなみに主人公は妊娠するし有馬(彼氏)は結構ハードな幼児虐待で,時宜的に不穏当なほどw.これで結婚後自分の子どもを殴って,母親のせいにしたりしたら面白いのに.

有馬の友人のなんとかも心に傷wだそうで,でもその話は一切これまでないのでまだしばらく終わらないようねこの作品.母親による幼児虐待は使ったので,次はなんだろう?父親によるレイプとか.カルト宗教出身とか.あんまおもいつかねえ.

2004/06/22

"1 The infinite library," "2 Dissection by linguistics" in
Pinker, 1999, Words and rules.

ありゃ,この本300頁もないから逝くまでに読んじゃうかも.飛行機で読もうと思ってるのに.

"4 Quantifiers" (I The quantifiers and their interpretations, II Metaphysical interlude: Quine on quantification and ontology)
in Susan Haack, Philosophy of logics.
ああ,あらためてこの本便利だな.逝くまでに色々頭に入れること.今日はクワインの名前消去を覚えた.

まずは,固有名を "The x which ... (... is a predicate)" と解釈する.(the x)Fx
次に,ラッセル記述の理論.
G((the x)Fx) =df. (Ex)((y)(Fy <-> x=y).Gx)

とすると,あれま.なんと量化子と変項で名前が表現できるのであった.

ところが,combinatory logic という存在は問題点を浮き彫りにする.

2004/06/17

前日にJリーグ試合を初めて見る.ガンバ対セレッソ.長居はセレッソのホームらしいがそんなことは知らない.自由席?らしき所で見る.適当に座ったがどうも暗黙に片側はガンバ,片側はセレッソにおおよそ分かれて座っている模様.日ハム関係者ということで,セレッソを応援していたのだが,周りはガンバファン.まあ,人もそんなに多くないので気になるものでもないが.試合は1−0でガンバ勝ち.結構面白い.勝てばもっとエキサイトしたな.

その疲れを引きずりながらも2限 "Truth by convention" 演習.我ながら理解していないことが露呈.困った.

昼後は図書の整理を手伝う.物理学棟の一室を哲学科が押さえたらしく,きれいにして学生の部屋にできそうだ.増えた.駅からは近いが文学部棟からは遠いな.

出口保夫,『ロンドンの夏目漱石』1982年,河出書房新社.

うむ.『倫敦消息』を読まねばなるまい.

「向ふから妙な顔色をした一寸法師が来たなと思ふと即ち乃公自身の影が姿見に写ったのである」

2004/06/14

Ryle 担当箇所の翻訳.あと少し.一頁一時間でいけるな.そしてついでに読む.

Ryle, G., 1929, "Negation"

まあ,ねぼけぼけでそれほど理解していないが.一応.目指せ一日一論文.か?

2004/06/12

Pinker, "13 Mind design"
読了.448ページ.長かったなあ.いつ読み出したんだこれ.やっぱこれくらいの難易度でも5分1頁,1時間で12頁くらいしか読めないな.理解もやや薄い.

でも秋学期が始まるまでにあと100日くらいあるのは慰めだな.このスピードが倍になったりしないかなあ.苦行を続ければなんとか?

2004/06/11

Pinker, "11. The Big Bang"

やっと..あと2章!

とにかく追いつくためにひたすら読む.人科院ゼミはもうすでに3本目の論文に突入しているようだ.あと "Negation" も余裕をつくって読まなきゃやな."Systematically.." は飛ばすのか.

Ryle, 1930, "Are there propositions?" in Collected papers vol. II 1929-1968, 1971, Hutchinson of London.

intro を読むに,索引がないとか.自分で探すのが一番とかどうとか.しかし,いい論文だな.おもしろい.デネットの師匠というのもよく分かる."Occamizing zeal" に,満ちているそうだ.

Pinker, "12 The language mavens."

Sifire てやつはやっぱ著名な文化人だったのか.ヘラルド朝日を読んでてなんか変な英語の人がいるなあ,と思ってたんだ.あと28ページ!今晩にも読める.いや,明日読めばいいんだけど.やっとだなあ.これでもうすぐWords and rulesに入れる.ピンカーのレトリックがどこまで分かっているかはかなり疑問だが.

2004/06/10

久しぶりに人科に.バスの時刻なども忘れている.
I氏はマスターになっていて,そして実質院生がI氏一人だそうで,助手の仕事もこなされていた.卒論,というか研究発表の原稿やN教授の授業のレジュメなどもいただく.院ゼミO教授は現れるやいなや,早速担当の全訳が始まり,そのままえんえん7, 8ページ訳し続ける.そして一本論文が終わるや否や,次の論文へ.そして時間が来ると,あっという間にO教授は居室へ帰っていった.わお.寸暇を惜しむとはこのことか.院ゼミというものの正しい姿を見た.10ページは最悪でも進むんだな.全訳で!関係ない質問とかしたかったのにこれは残念.

次の時間はN教授の院ゼミ.見学さしてもらう.強烈な論文を読んでいた.記憶の直示?こういう人だったのか.知らなかった.寡黙な感じ.

そして暇つぶし本を借りて帰る.

小平邦彦『怠け数学者の記』1986年,岩波書店.

2004/06/09

朝起きたら大雨.休もうかと思うが行こうとすると晴れる.
2限3限4限.結構つかれる.5時までヘラルド朝日読んで,80年代の『思想』のフレーゲ特集号を読みながら帰る.

帰ってURSAに入ってみると,ちゃんと夏学期の履修ができていた.金はまだ徴収されていないようだ.ついでにハウジングもオンラインで登録する.De Neve とか言って,秋住むとことは違う少しましな所だ.一月半で300ドルくらい値段が違うんだが,個人風呂がついているし明らかに広いのでこちらを選ぶ.行っていきなり最悪の環境は辛いだろうと.

この分だとビザのプロセスとかもなんだか順調に進んでそうやな.心配して損した.後はつまりは英語か...

2004/06/04

Putnam, H., "Two dogmas revisited" in Realism and Reason.
Grice and Strawson, 1956, "In defence of a dogma."

グライスのはあんま重要でないな.内装や座席の位置にケチをつけている長距離バスの客だな.なんにせよ,バスは明らかに自然主義への道をひた走っているのだから.もしそれがいやならバス自体の向きを変えるか食い止めなきゃなんない.インテリアがいびつでもそれは問題ではない.

パトナムのはなかなかよい.しかし,歴史からの論証のポイントは3ひねりくらい加えられている気がする.俺はまだひとひねりしか解してはいない.クワインの混同は俺は致し方ないと思う.というか,混同せずに,ただ,分析的と言うだけなら何の意味があるというのか.

2004/06/02

Quine, "Truth by convention" in The way of paradox and other essays, revised, Harvard University Press.

やはりいける.無限後退に対する対応として,規約は後から記述されるものとする所や,規約は後から観察結果に応じて変更してもよい,と認める所は,もはや分析性の「いらなさ」を如実に表している.

まず,ただ「意味によって真」というだけなら,分析性という概念を用意することに何の意味もない.意味によって真,ということは規約によって真,だから,分析的に真な言明の真理性は別格なのだ.とならなければならない.

しかし,そのような規約も観察に依存してコロコロ変わるものに過ぎないとするのならば,なぜわざわざその真理が保証されたものとしての分析性がいるのだろうか.となる.

この流れで発表しよう.

吉永良正,『秋山仁の落ちこぼれは天才だぁ』1993年,講談社.
面白くないなあこの本.