HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2004/06/02

Quine, "Truth by convention" in The way of paradox and other essays, revised, Harvard University Press.

やはりいける.無限後退に対する対応として,規約は後から記述されるものとする所や,規約は後から観察結果に応じて変更してもよい,と認める所は,もはや分析性の「いらなさ」を如実に表している.

まず,ただ「意味によって真」というだけなら,分析性という概念を用意することに何の意味もない.意味によって真,ということは規約によって真,だから,分析的に真な言明の真理性は別格なのだ.とならなければならない.

しかし,そのような規約も観察に依存してコロコロ変わるものに過ぎないとするのならば,なぜわざわざその真理が保証されたものとしての分析性がいるのだろうか.となる.

この流れで発表しよう.

吉永良正,『秋山仁の落ちこぼれは天才だぁ』1993年,講談社.
面白くないなあこの本.