プロタゴラス
を今読んでいて,333bまで来たんですが,あんまりにソクラテスの論証がひどいのでいてもたってもいられず書き込み.ひどいなーこれ.329cあたりからなんか嫌な感じがしてきたのだが,これをソフィストと蔑称せずになんとよぶべきか,と333bまで読んで思いました.ひどい言葉遊びで,形容詞と名詞を行ったりきたりしたり,関係の薄い類推からむりやりこじつけたりしてる.ほとんどの前提が偽であるというか,それを疑える前提ばかりである.たとえば,justiceはjustかどうかがなぜ二者択一なのか,ほとんどの述語はほとんどのものに当てはまらない,すなわち意味不明となるのに,この場合も意味不明ではないのか?黄色は質量を持つか否か,と問われて真か偽かで答えるのか?(単に偽,と答えるかもしれない.ならば「色はおいしい?」はどうだろうか?直感は結構わかれてくるかもしれない.widespread, white, gentleなどいろいろな単語で試すと良いかもしれない)
突然個物のごとく正義やらを語りだす話のそらし方がいやらしい,と思った.
なぜ金切り声と低い声が対極なのだ?明らかに音程のように段階をもつものをたとえとして,「すべてのものには,たった一つだけその反対のものがある」などということを言う・言わせるのだ.考えられへん.「賢さと自制の二つが間抜さの反対じゃないですか,プロタゴラス!」などとよくぞ言う・言わせる.
プロタゴラスの論証そのものに向き合っていないように思われる(329b)プロタゴラスはソクラテスの最初の主張をとってそれをreductioで論駁しているように思われる.これに反論しなくては,徳は教えられるという主張を認めることにはならないか.突然,ところで「徳」ってなんでしょうね,などと言い出すなど言語道断に思われる.
顔の例えもどこまで引きずるのだ.そんなもんいい例えじゃない,おわり!でいいやないか.
これからよくなることを願う.
突然個物のごとく正義やらを語りだす話のそらし方がいやらしい,と思った.
なぜ金切り声と低い声が対極なのだ?明らかに音程のように段階をもつものをたとえとして,「すべてのものには,たった一つだけその反対のものがある」などということを言う・言わせるのだ.考えられへん.「賢さと自制の二つが間抜さの反対じゃないですか,プロタゴラス!」などとよくぞ言う・言わせる.
プロタゴラスの論証そのものに向き合っていないように思われる(329b)プロタゴラスはソクラテスの最初の主張をとってそれをreductioで論駁しているように思われる.これに反論しなくては,徳は教えられるという主張を認めることにはならないか.突然,ところで「徳」ってなんでしょうね,などと言い出すなど言語道断に思われる.
顔の例えもどこまで引きずるのだ.そんなもんいい例えじゃない,おわり!でいいやないか.
これからよくなることを願う.