HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2007/07/11

どうして哲学者に社会的説明責任がないのか

たまには議論を喚起できたらいいなあ,とblogぽいこと書きます(途中で飽きるかもだが).

僕はscience friday というラジオをよく聞くのですが,米国における医療関係の研究投資金額は年間50億ドルありますがーという台詞をききました.また,とある宇宙開発関係の人が,視聴者のこのような質問に答えた.どうして,飢饉などは言わずもがな,ホームレス問題とか色々予算に困ってることが多いのに,宇宙開発に膨大な資金を当時なあかんのか?答えて曰く,いや,膨大ではないんです.他のいわゆる応用科学や防衛費などに比べたらほんと微々たるものです.一人10セント分くらいしかつかってません.それくらいで夢を買える(しもちろん様々な実際的な効用も期待できる)のです.と.

僕は同様のことが哲学にも言えるとよく考えます.小さいころから,うなるほどきく台詞は次のようなものです.

社会に貢献するような
学生や世間の苦悩に応えるような
世の中の問題を解決するような

(もちろん,哲学者の皆さんはもっと複雑な言い回しですが,僕の耳には上記のようなことを述べているようにしかきこえません)

なぜ哲学が社会のニーズや学生の関心と関係があるのでしょうか.人様のお金をもらって研究しているのだから,というふうに考えがちですが,そうした職業哲学者の社会に対する説明責任は非常に少ないと思います.もう,額が,規模が,半端なく小さいですから.

さて,飽きたのでこの辺で.応用倫理はどうだって?それはまた別のお話.ところで,僕は同時に,「哲学は何の役にも立ちませんよ」とデカダン気取る大人も昔から大嫌いです.哲学史を勉強したことがあるのでしょうか.科学は?法律は?人権は?きっと自己評価をされているのでしょう.