HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2005/10/31

論文

なんとなく,記録.

黒崎政男「ドイツ観念論と十八世紀言語哲学」『講座ドイツ観念論第六巻』
こういうのは,歴史的に,おもしろい.やはり,ライプニッツというのは非常にフレーゲに影響を与えたんであろう.事物と記号の関係だけでなく,事物と事物の関係も論じるのは,当時の言語論にとって当たり前なんだってさ.記号についての理解が,真理についての理解につながると.

で,ライプニッツを読んでみようと思って,探してみるが,英訳が全然少ない!New Essays がネット上にないとは思わなかった.でもない.で日本語で出てるやつ,なんか院生の部屋とかにあったので,ちらちら見てみたら,非常に面白そう.へえ,対話編なんだ,と.で第三巻の言語論ぽいところをみてみると,わお,結構色々かいてあっておもしろそう,と.

山内志郎の論文もおもしろそうなので,ちょっと見てみよう.

なんとなく,言語に関する緒論を調べるのはおもしろそうだなあ,と思ったまでで.趣味的に.歴史的興味として,あくまで.

いわゆる分析哲学とか,言語論的転回とは,ますます局地的(日本!)なかけ声だなあ,と.アリストテレスとライプニッツとデイヴィドソンとチョムスキーを同時に議論するということが,どんどんなんの違和感もなく行われるだけだろう.

僕は,大陸系と分析系の橋渡しをする云々という人が理解出来ない.そんなことをする必要はみじんもない.