HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2005/07/22

関空顛末

友人の日記を読んでいて,帰国したお話を読むと,なかなか感動的な仕上がりだったので,僕の帰国はどんなだったけな,と振り返る次第.

関空について荷物を取り出して,ついに上陸.とはいえ僕には出迎えはないので,ごろごろと一人で荷物の山をカートみたいなんで運びながら,母親と連絡を公衆電話で取った.そのあとシャトルバスで帰るべくバスのチケットを買ったがなんか二三時間待たなければならないことが分かり,どうしていいか分からなくなる.コンビニが地下にあるようなのだが,荷車はそこまで進めない.僕は荷車をなんかサービスカウンタ的なところに置き去りにしてローソンにいった.ハンターハンターでも読んで時間をつぶそうと思ったが,コミックスもおいてなく,ただカルピスウォータを買って飲んだ.結局そこいらのイスの上にただ寝転がってバスを待った.chomsky のminimalist program なんかを読みながら少し時間を経過させると,飯でも食っとこうと思ってこれまた一人で飯どころを探した.ごろごろごろごろ進み,普通の定食屋の前に荷車をおきながら,ネギトロ丼を食べた.客も僕の他に一人しかおらず,なんか静かだった.そのあと本屋に行こうと思ったが結局荷車では本屋のあるフロアに入れず断念.仕方なくただバスがくるのを待った.

バスに乗り込むとそのまま寝た.飛行機ではほとんど寝れなかったし,そもそも期末テストと送別会で一週間ほどあまり寝てなかった.変な汗をかきながら起きると,だいたい奈良辺りを走行していて,徐々に家に近づいていった.木津辺りを通過して,バイパスに乗って,地元の市役所前を通るあたりは結構テンションが上がった.おお,なんにもかわってねえ,でも回転寿司屋が変わってる.とかで.

地元の駅に着くと,もう夜の九時とか十時だったと思う.大学生がバスを待ってたり,サラリーマンがチャリで帰ってたり,としばらく非日常の光景に見とれていたかと思う.再び母親に公衆電話で連絡を取って迎えにきてもらう.その間,ぼくはぽつねんと駅前に異様な荷物を抱えながら立っていた.母曰く,僕はなんにも変わっていなくて,デパートに買い物に行った帰りのようだ,とのこと.はせいちで勝手に改蔵とエデンを買って帰った.エデンはいつもながら面白かった.

だいたいこれが帰国のあらましか.ふむ.やまなしおちなしいみなしということで.しかしひと月ほど立って,もはや感覚はすっかり日本のものになれた.電車に乗るとか,すべてが新鮮だったが,もうそうでもない.