HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2005/07/14

"ON DENOTING"

MIND centenary special issue on "on denoting" を早く読みたくって,まだかなまだかな,と待っていて,もうでるだろと思ったら,今月は違うくって.なんかどうも10月くらいに出る模様.卒論にもサンプルペーパーにもギリギリまにあうか位の感じか.卒論には間に合うか.

地理的な要因も大いにあるだろうが,僕の知る限りでは,ラッセルとか二次元主義とかいうのはかなり熱いようだ.クワインがはやらなくて,ラッセルがこんなにはやるのは,おそらく,結局ラッセルがやったようなことがうまくいったからなのかもしれない.ラッセル対ストローソン,logicans vs. ordinary language philosophers という図式は,もう歴史上のことなんだろう.そんな話も授業であった.というのも,言語学者の努力のおかげで,どうも形式意味論とかは全然通常科学科を果たし,自然言語が手なずけられる日もいつかはくるだろう.言語学の人たちが哲学をちゃんと勉強してきた,という事実は結構尊敬出来る.モンタギュがなんか始めたらしいぜといってはそれを見に行き,というような姿勢でどうも頑張ってきたようだ.Partee の手記とかでそういうことは知った.えらいね.工学部とか計算機学科での発展プリもすごいことになってるんだろう,僕は全く知らないが.とかまあ,ざっくり過ぎてなんも言えないんだが.

久しぶりに学校に行ったら,やや浦島だった.なんか新しい食堂が出来たり,他の人々の就職が決まったりしていた.就職活動をしていない院に行く,という人には,ロースクールに行けよ,とそそのかしたりした.おもしろいのは,米国の学部の哲学というのは,卒業してから弁護士とかになる人の行くところという節がなくもない.まじで,弁論述とか頭の動かし方を学ぶつもりの生徒が,いるようないないような,確かなことは言えないが.授業とかで,めちゃめちゃ頭が切れる連中は多分卒業後ロースクールに行って法律家になるんだろう.もしくはビジネスか.

僕はもし違うことをするとしたら,まず就職して二三年したらMBAを取りにいくと思う.そして卒業後年収一千万スタートだ.もしくは理系のPHDでなんかのディーラーとかになって,初任給一千万だ.と考えると,年収4万ドルスタートの哲学PHDの割に合わないこと合わないこと(APAの統計参照).教授になれば,年収10万ドル位のようだが,まあその辺で頭打ちかな?僕の今の金銭感覚では十分すぎる,が同じだけ苦労すれば医者にだってなれただろうに,とときどき思う.どっちにしたって,周りからずば抜けないと難しい.まあ,間違っているかもしれないが.

なんか悩める若者に本をうって小銭を稼いでるひととかはどれくらい稼いでいるのだろうか?