HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2005/05/20

"A Nice Derangement of Epitaphs"

を一回読み通す.今は驚くほど中身が頭に入る.しかし,なぜデイヴィドソンに言ってることが頭にはいるかと言うと,それはどうも僕は彼の意見を現代言語学の教義に近づけているからのようだ.チョムスキーのi-language を考えて受け入れたときに,デイヴィドソンの言うことは極めてストレートだ.そういう言語観を持つことになんの違和感もない.

かといってデイヴィドソンの言ってることは,言語学者の意見を反映している,というわけでもないだろう.彼の言うtheory は別に言語を司るモジュールのtheory ではない.いろんな分野のいろんな人々がそれぞれの切り口で物事について喋る.非常に面白い.しかし,哲学者の語るこれは一体何か.ざっくりとしたモデルなのだろうか.そうするといずれはきちんとした諸科学の理論に取って代わられるだけだろう.それはそれでいいかもしれない.でもそれだけでもないかもしれない.なんにせよ,哲学者(と呼ばれる連中)が何をしているのか,ということは一回かなり考えて答えを出さないといけない.僕は答えは出ると思ってる,今の予測からすると.