HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2005/07/26

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でRussellのPOM読んでいてgenus, speciesとindividualsが出てきたから,これはprimary substancesとsecondary substancesどっちがどっちだったっけなあ,と思って哲学思想事典を紐解いてみた.

すると,第一の実体という項目があって,「生物の個体を表示する.この人やあの馬が例である.」とあってなかなか分かりやすかった.

しかし続いて,「性質,量といった存在の規定性の内属する基底であり…一般者が述語される究極の主語の位置を占める」とあり,何がなんだか.「究極の主語」とはかなり唐突な感じがした.まあちゃんと知ってる人にとってはそうでもないんだろうが.

僕は結構哲学史が好きで,コピーロボットがあれば勉強してもらうのに,とよく思う.何か一時代くらいは半ば専門くさい部分を作りたいと考えてる.全部やるには人生やることが多すぎるのでやはり一時代だ.倫理も大いに勉強してみたい.

なんか人がやってることが賢そうに見えても,まあどうせこの人生でやるのは無理だ,と早々にあきらめるのが大人になっていくことだ,とは誰が言ったっけか.でも実は,こう,文化的な興味から,**デガーとかも読んでみたい気はする.あと,文化人類学的?進化論的?な興味は大いにある.言語を操ったり思考出来る生物がいったいどう進化発展すれば,2chとか現代思想とか,そういうぐっちゃりとした現象が生じてくるのか.血液型占いとかも気になる.

いくらでも言葉を羅列して文法的な文を生成出来る,という僕らの能力はポイントに違いない.そして,単語レベルの意味論をもっとしないといけない,というMay と Higginbotham の言うことはあってるに違いない.脱構築とかオレオレ詐偽とか臨床倫理とかエログとか,そういった単語は次々作られては,淘汰され,うまく複製が残り増殖していけば,しばらくのスパンは繁栄して,とかいってるとやっぱりミーム学かよ.うーんまあ人間の活動はどれもそういう節はあるに違いない.しかし,時間があると妙にくだらないことをかきたらす傾向があるな,オレ.