HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2004/02/02

最近俺があちこちで,もちろんすごく内輪だが,口走ってるのは一種の社会工学で,in a nutshell, 日本人の(もちろん世界中でいいんだが)知的レベルを底上げすることだ.竹田セージや中島ギドーがどうして幅を利かすのか,と,考えていて思い当たったのは,そもそも梅原猛とか養老猛,立花隆が幅を利かせてるではないか!と.養老猛やら知識人の代表みたいに思われてる状況そのものがヤバいんじゃないかと,思ったりしたわけで.もちろん養老猛がそんなに悪くなく,むしろいいこと書いてるくらいなんだけど,その程度の内容でもてはやされることが,養老自身びびってるだろうよと.

だから,だいたい養老猛の著作レベルの読み物は,中学生くらいのデフォルトっていう感じになればいいんじゃないか.村上春樹や吉本ばななも中学生で皆卒業と.そうすれば中島ギドーは高校で卒業て感じになるだろう.(すっげえ独断の話だなしかし)

しかしこういうのは昔の社会工学っつうか,エルヴェシウスとか,啓蒙主義の時代の話に似てくるよな,愚民を教育するのだ,みたいな.そんな偉そうなことは考えちゃあ,いないんだが.どうしたらいいのかね.

アメリカとかで,小学校に論理学の,クリティカルシンキングの授業を!ていう動きがあるようやな.これかな.論理が経験的に備わるものなら,ていうか,一種のツールみたいなもんならば,どしどしそれを獲得させよう,ていう感じかな,予想だけど.くだらん宗教にいかれるとかそういうのを減らせるんじゃないだろうか.

例えとして思いつくのは,やっぱ部落差別概念が俺らには欠落するようになったってことかな.正直ピンとこないし.俺らが60の頃には,ほぼわすれられてるだろう.