HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2007/02/20

ルー大柴

ルー大柴のブログが面白すぎる件はさておき,よくよく見てみるとその日本語話者としての完璧な体系性に気付く.以下引用:

私はオルウェイズ、シンクするのだが、今のワールドもったいないだらけ・・・
イージーに人をキルしてしまったり、バイマイセルフで命を絶ってしまったり・・・もったいない。
それに私を含め物をインポータントにしない。まだ使えるのにすぐ捨てて、新しい物にアイズを向ける・・・これでは物がもったいない。
フードもライクな物だけイートして残してしまう。ワールドにはイートしたいけど出来ない人がいるのに・・・もったいない。

店はリニューアルしてビューティフルになったが、カレーうどんのテーストは昔とセイムで、イートした瞬間、チャイルドの頃マイファミリーでサムタイムにサンデーイートしたなあと、当時のハッピーファミリーのスマイルフェイスが蘇った。今はマイファーザーは、ダイしていないけど・・・
ライフとはロングのようでクイックリーだ。その時、私はシンクした。二アーデイにマイファミリーとトゥギャザーで、カレーうどんをアゲインイートしようと。そしてマイサンに、私がボーンした富久町というライクダウンタウンを、ウォークしながらイントロデュースしようと・・・・・・・。
サドンリーサプライズ、中学時代からのフレンド田辺君が!

引用終わり.めちゃくちゃなようで,僕らは完全に意味が彼が何を言っているか分かるという.
「シンクする」「イートしたい」「キルして」など,英語を使っていると見せかけた動詞はすべてサ行変格活用であることがわかる.そしていわゆるてにおはが完璧である.

しかしまたよくよくみると,あまり面白くない現象だ.たんに表記を丸々カタカナ語に入れ替えただけのようだ.
「マイサンに、私がボーンした富久町というライクダウンタウンを、ウォークしながらイントロデュースしよう」
「自分の息子に,私が生まれた富久町という好ましい下町を,歩きながら紹介しよう」
もしこの語り口を彼が全く無意識に非常に達者にしているとしたら,統語論的なと意味論的な素性の集合は対応する日本語語句と全く同じだが音韻論的な素性がことなる,ということかもしれないが.いざ書く,というときに意識的な知識によって変更しているだけかもしれない.

まあ,日本語話者の直感というのがぬぐえるものではない,ということは表している.「イージーに人をキルする」完全にhead右で,いわゆるSOVでしかも空主語で主体は一般的に人,という意味のようだ.ところで実は某種類の出来事意味論と日本語の相性は非常にいい感じがする...語順がどうとか関係ない...ルー大柴の「イージに人をキルする」とか余裕で単純な意味論が与えられる...誰かもうやってるのかな...?