HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2007/02/14

4D

はやりの4Dについて五分間くらい話を聞きました.よると,個物はそれが占めている空間の時間スライスをメレオロジカルに全部足したもの,だそうです.「でもそれやったら,僕は僕のほとんど時間スライスを知らないので,僕はほとんど僕を知らんですやん」と反論してみました.

「新しい」形而上学は僕多分苦手だと思います.嫌いじゃないんですけど.なんかしっくりこないというか.タイムトラベルって言われてもなあ,というような感じです.そしてあまり周りに新しい形而上学をやっている人がいないし,むしろアンチ気味ですらあるので,僕には縁がない,ということなのかもしれません.何を勉強するかは結構縁(というか偶然)に支配されると思っています.僕は結構流れに身を任せています.オファーされてる授業や時間割の組み合わせ次第,という部分が大きいです.今年はずっと生物学の哲学に肩くらいまでは浸かってます.一方認識論は講師がちょっとはみだしデカだったので,まっとうなことは何もせず,今後もしないような気がします.言語哲学は予想通りです.論理学と心は全然まだしてません.来年授業を取る予定です.

はやりすたりや縁は大きな要素だと年々強く感じます.関東でも関西でも言語哲学意味論したい,って言ったら大全四巻見てね,ってことになるんだろうけど,実際,よく考えたら僕の学部大学でもぱっと言語学科と計算機科学科みたら形式意味論ばりばり第一人者がいたじゃなーい.と.でいびどそんからじゃなくて,普通の工学部か計算機科学の授業の一環として入っていく方が自然だったのかも.ラーソンシーガルじゃなくて,モンタギュ,パルティー,ハイム&クラツアー類の産業の規模といったらはんぱないですね.でもよく考えたら泰然四巻はそういう話も押さえていたような.手元にないので覚えていませんが,よく考えたらほとんど最先端の技術を駆使していたような(最先端というか,普通の哲学学生はむかしいなーと思うような技術-メレオロジーとか?).いや泰然は凄い本です.