HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2007/01/05

クリスマス

あけましておめでとうございます.どなたが見ていらっしゃるか分かりませんが,何となく,見てもらうとうれしいです.今年もやまなくおちなくいみなく書いて,暮らしていきたいと思います.沢山書きたいことがあります.順々に書いていきます.気の持ち用によって書きたいことがどんどん変わります.今は落ち着いているので,和やかな話題を.

いまだにクリスマスの話題.
初めてスヌーピーのアニメを見ましたが,スヌーピーを始めとする犬のキャラクターは人語を喋りません.人間の言っていることは理解しているようで,くすくす笑ったりほにゃほにゃ喋ったりしているよう.タイプライターで手紙を書いたりもします.

動物は喋るんじゃないか,という一般的な印象は昔も今も変わらないようです.ひきかえ「方法序説」5番やデイビドソンのような考えは哲学者や科学者に特有でしょうか.エバンス本 (100-5 ページ) を初めて読んでみたりして,少し生産性や合成原理について思いを馳せてみましたが,手探り過ぎます.

他にクリスマスに考えたことは,無神論についてです.無心論者です,とおおやけにいう人が少なからずいるのに気付いています.例えば昨年ドーキンスの本も出版されて,コメディ番組でやサイエンスフライデーで本の宣伝をしたり,なんで無神論でないのが道徳的に悪いのか,ということを力説していました.僕はいつもどうしていいかわからないので,仏教徒で通しています.しかし僕の存在論は科学者にあけわたしているので,スーパーパワーも神様も存在しません.

ラッセルの言う通り,宗教的になるのは悪なのかもしれません.しかし宗教的になるのが悪か否かよくわからないのは,文化的な諸活動との区別がつきにくいからです.新聞を読んでいると,中国のエリート層の若者有志がいかにクリスマスを行うのが伝統に反して悪いか,という投書か何かをしていたそうです.しかし文化の変遷や伝統はもっとぐっちゃりした現象なので,誰にも止めようはありません.カウントダウンなんかと同じで,うたかたなわけで,どこかで結んでそんで消えるだけです.どれもこれも人の諸活動の一部なので,いいとか悪いとかいいにくいのは皆同意すると思います.すると,やはり無神論を取ったとき,クリスマスを捨てなければならないのかどうか,いや,べつにええやろ,というわけです.

理性が教えるところによれば,僕らモンキーが非理性的なことをごちゃごちゃするのは目に見えています.モンキーをたしなめるべきなのでしょうか.もちろん,悪いことは悪いんで,ここでの議論は,自然現象だからレイプはオッケーという間抜けな議論とはパラレルではありません.ツリーを飾ったりする経済的な現象と魔女狩りに走ったりする現象は地続きなのでしょうか,ということです.

僕はやはり倫理は勉強しません.