HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2007/12/05

日記

講演.講演者/教官のかきさしpdfを入手して夜中に読むと,ああ,そうか.ってほどユーレカじゃないけど,まあ,これでいいんじゃない?という博論の主題を手に入れる.なんだけっきょく,全部述語かあってことで.
博論のアイデアができた,ということにしておく.そう公言もしてみる.こういうのは後からついてくるんじゃないだろうか.しかしやることがわかればほっといても生まれるのではないだろうか?

のみなる全般ってのは当然無理だと.代名詞(のさらに一部)が主になるかな?でも指示詞からはじめます(キングの本が間違っている気がするのでそれを確かめます).帰結がどういうことなのかは不明.結局フレーゲが正しかったということでいいんじゃないかな,直接指示はなにか違うんですよ.そして(ところで)真理論は当然意味論にいらないのですよ.
泰然IVあるいはルポアの新しい本みたいな公理の束が脳に詰まっているという発想は結構グロテスクですよ.(もちろんデイヴィドソンにとってはインプットアウトプットの論理的再構成だから別に何でもいいんだけど,それでごり押ししたい人がいるのだろうか).

今日誰かが博論の防御をしていた.つつがなく終了した模様.シャンペンによって祝ってましたよ.あと何年で僕は終わるかな.早ければ早いほどうれしいな.

今年はたくさん博士が出る(予定)らしい.就職活動にも激しい動きが見られる.ダンボールの箱を三つくらい抱えて.70こくらい履歴書を送っていた模様.どこの国も就活は一筋縄ではいかない.僕はいったいどうすればいいのか.しかし,もちろん,そんなことを考える前にリーディングをしろということで,あ,は,上の漱石をよむんだ.