HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2005/03/04

世の中に大学があって,そこに哲学科が存在するのは間違いなく歴史的なことだろう.そんでそれにさらにジオグラフィカルな要素が沢山沢山.ふっとちゃんと冷静になって,普通の人の視点に立つと,哲学でPhDをとることなど...(規制).法律家になったり,医者になったり,ビジネスをはじめたり,いくらでも可能性はあったはずで.いまでもあるだろうし.

僕がこちらに来て感じるところは,どうもやはり哲学科の本流はまじめな文献注釈にあるようだ.それがまっとうと思われているという点で本流.ここのふぁかるてぃがそうなのかもしれないが,おそらくどこでもあんまかわらんのではなかろうか.意味論とかをばりばりやったとしても,それは結局どういうことなのか,なかなか大きなピクチャーを描くことはない.ので元々そんな物が可能なのかと疑ってしまう.僕はローティの批判のようなものはいつも心に留めるべきだと.

僕がすんなりとどこぞの大学院に入れたとしても,それが手放しで喜べることかと言うとそんなことはさらさらないのだ.5, 6 年間,異国の地で暮らす,ということがどういうことなのか,そこで教育を受け,博士論文を書き散らすということはどういうことなのか.第1世代がすっと溶け込めるということもないだろうと僕は思う.