HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2004/03/13

『J・デューイ』「倫理学—知性と自由—」「教育理論—実験学校の試み—」「社会哲学—民主主義の理論—」
筆者が自分の考えをデューイの中に読み込んでいるのではないかとの疑いもあるが,まあ,多かれ少なかれそれは一般として,気にせず,少々コメント.デューイ>ジェームズ>パースという感じで,より実践的になる.政治哲学,教育理論にがんがん突っ込んだのもデューイの大事な仕事としなきゃいけないのだろう.そっち方面にはとんと暗くてわからないが.晩年には「世界政府」の構想も練っていたらしい.これを褒めて,理想を追究すべき哲学者は政治家の現実的弁明に迎合してはならぬ,との筆者の言はさもあらん.

ところで,ファッショ,ソ連流共産主義などの全体主義への抵抗,というアイデアを,大衆文化反対に使えないだろうか.と思ったりする.人々を楽しませたり,喜ばせたりするのの何が悪い,というもっともな考えに対する防波堤として.

ローティ「第2章 心なき人間」「2.1 対蹠人」「2.2 現象的特性」議論の展開がトリッキーだと感じるのは,やぱ俺が日本人だからだろうか.ノートとるのに苦労する.はっきりいえることは,「心」という概念は歴史的,文化的偶然によって形成されたのかもしれん,ということか.「心」ですらそうであるならば,「哲学」という概念もそうであると示せるだろう.