HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2009/07/10

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読了.

Pinker, The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

ch.7 The seven words you can't say on television
Pottymouths, The blaspheming brain, The semantics of swearing: thoughts about gods, disease, filth and sex, Five ways to cuss, Swearing, con and pro
Ch.8 Games people play
Tete a tete, Touchy, touchy: the logic of politeness, Muddy it up: vagueness, deniability, and other strategies of conflict, Sharing, ranking, trading: thoughts about relationships, Passing the giggle test: the logic of not-so-plausible denial, Choosing not to know: the paradox of rational ignorance


単語とギャグが結構難しい.でもかつてwords and rules を読んだときよりは英語力があがっているぽいのでまだましな読解.読んでばかりでなく書くこともしないといけないが読まないともいけない.でもいい加減書かないといけない.ピンカーもう一冊読もう.デクーニングと平行して.

哲学者としては最初の章のほうがおもしろいか?とにかく認知科学,言語心理学,発達心理学でどれだけいろいろおもしろい研究があるかということを追うという点でも,哲学者はいちよう読んでおくべきであろう.細かな哲学論争をするにはおおざっぱだ(ピンカーvsフォーダーの点ではしらない).最後の章,認識論的なトピックこそわれわれの興味があるところだが,それはほとんど蛇足のような章であった.確かに,自然主義的に解釈したところの言語と知識がいったいどのように関連しているのか,ということは非常に難しい問いであろうと思う.とにかく,正常な認知科学者の言語観はこういう感じであろう,と受け取っておこう.チョムスキー,ジャッケンドフ,ピンカーの言語観でひとまとめにしても差し支えないと思う.そしてそれは,この前挙げたラドローとのインタビューで明らかなように,言語哲学者は一切受け入れようとしないものである.私はチョムスキーよりである.

ところで言語と思考の関連についての四章はとくに哲学者ごのみだと思う.エスキモーの「雪」が再燃しているのだ.しかし,私が個人的に留意すべき点は,このピンカーが書いていることのうち,どれだけたくさんのことを人づてで既に知っていたか!ということである.そしてその知識はほとんどキャンパスをうろうろすることによって手に入れたのである.やはり学校での講演は労をいとわず参加しよう,ということだ.おもしろい話ばかり聞ける.

われわれとしてはネタ帳的な役割として,ピンカーの本を読むべきであると思う.

ところでいまだかつて茂木健一郎よりも見苦しい人間が存在したであろうか.もはやジョークを超えて言及するしかなくなったので言及したい.そして僕は二度と言及しないであろう.新聞広告やすべらない話で見かけて絶句した.新しい本の名前は「脳で旅する日本のクオリア」だそうだ.すごいな.いくら「の」が非常に多義的であるとはいえ(西山佑司参照),ありえん.批判するに値しないであろうあろうと思っていたが(すなわち淫行知事や犯罪者タレントと同列),もはや笑えなくなった.言葉を交わしたくない人ナンバーワンだな.とにかくチャーマーズに土下座するべきだと思う.