HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2009/08/03

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村上春樹,「ノルウェイの森」

今更なぜそんな下世話なものを読むのか,とはいい質問です.小説はそもそも滅多に読まなくなり,まだカラマーゾフに手をつけれていないのに.せっかくなので思いつくことを羅列.

いわゆるラノベとかケータイ小説とかの文体はかくあろう,と思われる.鳥肌がたつ直喩を散見するが,年代を考慮しよう.劇中の語を引用するに,(字句通りではない.もはや字句など覚えておらず,その趣旨を覚えているばかりである.その点については多数の実験がある.)
「制作されてから30年以上経たない非古典作品など読む価値はない」とは皮肉なのかなんなのか.

95p 「ワタナベ・トオル」
などとでてくると,もうなんでやねん,なんでやねん,なんでやねん,しか出てこない.

三点.

一つ目は,全体の印象.東京の生活描写が非常に気に入った.なぜだろう.それが優れているのか,単に東京に最近住んでみたいと思っているのか,学生時代に戻りたいだけなのか.冒頭と最後の死は云々は果てしなく薄っぺらな気がして反吐がでた.最初の方でサナトリウムがのちのちくることをほのめかした時点で思わず嗤ってしまったが,その京都の寮を描く部分もわろからずと思った.大学と,「ピース」もよい.ちょうど最近,『アンラッキーヤングメン』を読み,当時を知る大人達と話をしていたのがよかったのかもしれない.まあ正直さっと読むほどには楽しかった.「ピース」は流行らすべきである.北米での現代若年層における用法はどこからか,左翼思想からではないのか.

しかし,二点目,それは僕が男性だからであって,この作品は,なんともあれだ,ごめんねsexismである.ぶっちゃけ,Boys be ...,萌えアニメ,ポルノ漫画のような都合の良い女性キャラクター達ばかりで,こんなもの女性が読んで楽しいのか? 斉藤美奈子が批判的なのはもっともだ.彼女が,最近の朝日における評論で1Q84を切っていて安心した.海辺のほにゃららといい,村上春樹はどこまでいっても村上春樹である.
ぼけーっとした主人公がぼーっとしていると,母性を振りまく女の子達が入れ替わり立ち代わり手か口で抜いてくれるというわけだ.地味で内省的に本を読み,とりとめのない返事を女の子にしているだけで,好きとか言われちゃうわけで,まあおそらく,「※ただしイケメンに限る」もしくはつまらない類の妄想にすぎず,こんな男五万といるのである.(ところで女性側は女性側のファンタジーがあるので別に男性を批判しているわけではない.)これを正しく指摘していると思われる斉藤美奈子の本が読みたくなった.(よんだことないのである)

三点目.これは少しまじめなポイントだが,「完全さ」というのも大事な概念であるように思われる.これはピンカーのthe blank slateを読んでいただきたいが,やはり時代か,この本には左翼的進歩史観と行動主義的なZeitgeistが濃く表されている.
行動主義の死を目撃したとのたまう敬愛すべきチェルニアックの口癖は,we are human beings at mostであり,完全な人間などということはほとんど矛盾のような気が僕にはする.登場人物が時折くちばしる,「私たちは不完全だから」などという台詞は世迷い言かつ,単なる陶酔にしか思えないわけである.これも私が著者と永遠に相容れない点であろうと思う.

やはり,これが日本文学かと海外で広められるのは食い止めなければならない,のかもしれない.私はもっとプロパガンダするべきかもしれない.もっとも日本人だということで,Murakamiを出してきた人物は一人しか今までいないが.曰く,ニューヨーカーに短編が載っており,非常におもしろかったらしい.そしてやはりオウムのまともな本を出しているのも大きいように思われる.結局翻訳しやすいものがねー,と言ってしまうのはあまりに悲しすぎる.「文壇での評価は低い」とだけは伝えておいた.

もっとも,大衆だろうがハイカルチャーだろうが,そんなことどうでもいいんですけどね.これが古典と化したって,しったこっちゃない.

ピース.