HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2009/03/19

ケネディ・スタンリー

は「アベレージについて」をmindに載せるつもりであることを知る.というか載るらしい.

saltとかで出してるし,もっと言語学バージョンは言語学の雑誌に出すんだろうが,このバージョンも相当式を使っている.mindはなんでもありなんだろうが,これだけテクニカルにする必要はあるのか?という思いはなくもない.一読して詳細が分かる哲学者が何人いるのか.ところで僕はもちろん(?)この論文のメイン主張に反対しています.というかデイヴィドソンの扱いが雑だろうと,日本の泰然読者は思うだろうと予測する.

mindではコリンズの統語論more or lessが記憶に新しい.どんどん言語学の必要性が認識されてきたのならそれは非常によいことである.

ところで泰然は,振り返ってみると(まだ振り返るには早いが),功罪ともにあるような気がしてきた.功が上回るからいいのかもしれないが.
例えば4だが,ラーソンシーガルの教科書は「変だ」という認識はもっと広めてもいいと思う.あれが出版されたときの受容のされ方を聞いたがおもしろい.
デイヴィドソンにこだわる理由を僕は共有しないが,するしないにかかわらず,あの教科書はデイヴィドソンのプログラムを本当に踏襲しているのか.