HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2009/03/08

オードリー

の春日の一人称は「春日」であることを知る(賢明な当ブログの読者はご存知であろうが).

ところで,「xxの一人称は「yy」である」.という日本語で自然な表現はおかしい気がしなくもない.というのも英語の一人称は一人称代名詞しかない(と思う)からである.

日本語の場合,一人称代名詞は「私」であろうが,一人称の表現はほぼ生産的であるような気がする.すなわち,それら一人称表現が代名詞のクラスに含まれるようには思われないのである.「僕」「自分」などはかろうじて?代名詞と呼べるかもしれないが,ぴんとこない.格変化もしないし,パラダイム的なものがない.

なんであって一人称となる.ご存知,われらが「乃公」をはじめ,そうした表現は無数にある.「先生」なども一人称として用いられる.当然固有名と呼ばれる「太郎」なども一人称として用いることができる.

「自分」,エビデンシャル系,モンスターは非常におもしろいトピックとなりうる.が,別に俺がそれをすることは当面ない.