HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2006/03/26

卒業式

前日,教務から連絡するようにとの連絡が留守電に入っていたので,一体僕は卒業出来るのか不安になったが,別に大した連絡ではないことが判明した.自分の卒業証書もあったので安心だ.僕は1年抜けていたりでほぼ数年ぶりくらいに会う人が多い.名前が出てこないことが多かったがそこはうまくごまかした.カメラは持ってなかったが人の写真に多数おさまっておいた.なんとなく,別れの挨拶だけはまあしておいた.もう会わない人も多いだろう.あでぃおす.

その後懐石を母とおばと食す.これは作れない.そして研究室に行くと結構たくさん人がいる.別段普段と変わらない.何かしらシンポジウムの準備だそうだ.その後予餞会へ.謝恩会というのは生徒がしきって,贈り物やら花やらをあげるそうだが,そんな気のきいたことはことは出来ない.近くのレストランで食事歓談.就職して去る人などとはそこでお別れだ.

T島ん平屋にその後行く.相変わらずN, Yがいて,Aは欠席.四方や話で気付いたら寝ている.小さいコタツしか無い.くそ寒い.んで朝松屋に行って帰る.「ほな」「ほな」とだけ言ってそれぞれ電車に乗り込んだり,降りていったりした.

一人で阪急に乗っていて,つらつらと出さなければならない事務メールの文面を考えていると,突然こみ上げるものがあって困った.もともと感傷的な性質なので,自分に酔いたかったんだろう.十三をを過ぎて中津に停まる頃にはほおを伝うような節があり,やや人目を気にする.

まあ何というか,6-3-3-4制の申し子なので,時折節目がついてくれて,そしてそういうときには感傷的になれるから素晴らしい.こう,大体長期的な目標があって,それに合わして中期短期のタスクを設定してこなしていくのが生活なんだが,その長期的目標たって別にそんな大事なものというわけではなく,せいぜい中期短期タスクと同じ程度の価値しか無いんであって,実は,短期のタスクの積み重ねが,僕らの生活そのものなわけで.毎日,だりーなーと思いながら環状線やらに乗っていた繰り返しも,それはそれで大事な生活の一部であって,単にルサンチマンためて,長期目標へ向けて頑張らせるためのものではないんだなあ.などと,愚にもつかない,もう何度こういう時期に考えたか分からない下らないことをつらつら思いながら,エリオットスミスやJ-POPを聴いて鼻水をかみながら僕は家に帰った.

2 Comments:

Anonymous 匿名 said...

なんかあれだ、儀式っていうのはいいね。意味がなくて、その意味のなさが可憐だね。

ともかく卒業おめー。

9:47 午後  
Blogger urbe said...

ありがとん.
まあ人生なんてやまなしおちなしいみなしなんだが,時折いとおしくなるんだわねー

12:27 午前  

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