HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2004/01/11

金杉武司「動物は思考しうるか?ー解釈主義的観点からの思考と言語の関係に関する考察」『哲学の探究第29号』
分かりやすいし,動物は思考できないとするデイヴィドソンの理由がまとめられていて助かる.内容はさておき,思ったのは,どうもこういった事柄は経験科学の成果を踏まえなければならない,というよりも,それ抜きではもうどうにもならないような気がする.
 Stich の自分の内容帰属理論に対する冷静な評価を思い出す.
"...the distinction [in his account]...is a distinction entirely bereft of theoretical interest. It is a parochial, observer relative, context-sensitive disitinction that marks no significant psychological boundary."
 こうこうこういうときは「信念」です.そしてこうこうこういうときは「信念っぽいけど違う」です.て感じで,うまく場合分けしたところで,それが何かを前進させたかどうかはいまいち不明てことかな.デネットの言う「空虚な問い」に近いものも感じる.概念的にそれを解いたり整理したところで必ずしも万歳てわけにはいかんのかなあ.