HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2004/01/08

センチなことを書くのはセンチなときに限る.たとえ後で読むに耐えないものであっても.

こんな日はチェーホフが身にしみる.
How cheerfully and jauntily that band's playing - really I feel as if I wanted to live! Merciful God! The years will pass, and we shall all be gone for good and quite forgotten...Our faces and our voices will be forgotten and people won't even know that there were once three of us here...
maybe, if we wait a little longer, we shall find out why we live, why we suffer...Oh, if we only knew, if only we knew!


なんと直球勝負.しかしそれを扱わないで何を哲学と呼ぶのか.何年か前,詩人の長田弘がテレビで,『三人姉妹』のここいらを引用し,さらに自前の詩を朗読し,姉妹は新たな世代に希望を託したが,さて後代の住人である我々は彼らに比して何を知ったか,と問うていた.答えはネガティブにならざるをえない.そのことは各々の懊悩からも明らかであろう.

これ以上の無駄口はもはや後悔の種に過ぎない.いづれ立ち戻ろう.

「第2章 自然状態」ー複数の保護協会
これはprotective association の訳語だと思う.前O場がなんか読んでたの見た.変な日本語,て感じやな.まあ別に代替案とかないけれど.