HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息

2008/04/30

日記,おしゃべり

あいかわらず,ブログの方向性がまったく分かりませんが,人生の方向性が分からないのに,ブログの方向性が定まると考える方がおかしいでしょう,vice versa. まったく不安定な気分になります.

パーフィットの本の後ろのほう,未来についてを読んでいますが,人格についての方が個人的には読みたいなあ,と思います.人格とはチェーンみたいなもの??とパーフィットは言っているのですか? こう,人生はばらばらととりとめのないもの,とでも言っていたらなんだか賛同します,がそういうふんわりした話でもないような気がします.

規範倫理学はしかし本当に楽しくないです.メタの方がまだまし,という印象です.単にわからないからつまらないー効果,なのだと思うのですが,むりやりつめこんでいる感じです.それにちょっと沢山読みすぎてとりとめがなくなっている感があります.non-identity problemがらみで,ハーマンの娘のエリザベスハーマンの論文まで読んでいます.僕にはもうついていけません.

やはり学部のときにヒュームとカントをちゃんと一通り読んどくべきですよね.つけは払うものです.僕,第一批判の頭だけしか読んでいない,のでカント倫理はさぱーりです.

ところで,ちらっとバージのinidividualism and the mental を読んでたんですけど,書き出しが

「ヘーゲルの『精神現象学』爾来...」

っていうものでとにかく最初の二段落なかなかかっこよいと思いました.哲学っぽい大風呂敷とひたすら偏執的な議論のバランスというものをどうとっていくか,というのは大きな問いなのでしょうか.僕はなんらの段階にも達していませんので分かりませんが.

僕は個人的にバージにあこがれていますが,バージのようなスタイルが結構好まれるように思うのですがどうでしょう? 文献解釈を柱にいろいろ考えていく,というような.

ところでどうも形而上学の本の翻訳がいっぱい出てますね.サイダーの本とかすごいですね.counterfactualsは定訳がタイトルですか,反事実的条件法ってこれだけ見るとたぶん法学系だと思うでしょうね.

ぱっとアマゾンを見ると,ちょっと言語哲学系が少ないでしょうか,でもライカンもあればルカナティもあるし,そもそも言語学者が沢山いるから,望むまでもなく発展しているのでしょうか.
てかああ語用論のレビンソンも翻訳されてますね.というか結局チョムスキーさえ押さえとけばよい,というのが意外な(当然な?)真理なのかもしれません.